南洲庵
西郷さんが大隅での狩猟の拠点とし、西南戦争前最後に宿泊したともいわれる、現在の鹿屋市高須町にある田中吉右衛門宅の家財の一部を使い、茶屋として霧島ヶ丘公園に建築したものです。
入り口の銘
正面入り口から
内部の様子
なお西郷さんが滞在当初の建物と間取りなどは異なっています。
西郷さんが使用したとされる手水鉢
西郷さん宿泊の際に使用したとされる和ダンス
解説パネル
この解説パネルにはこうあります。
その宿泊所は、高須町・高須川沿いの田中吉右衛門(きちえもん)の宅であった。
この南洲庵は、その吉右衛門の孫にあたる田中陽蔵氏のご好意により隆盛翁が宿泊されたその家財の一部を使い、よく狩猟をされたというここ霧島ヶ丘公園の地に、茶屋として建築したものである。
隆盛翁がこの家に宿られたのは、当時、この家が一番大きくて、立派であったこと。鹿児島から舟で来ると便利であったこと。
当主の吉右衛門なる者が大骨肥満、風貌、性格が南洲翁に似た人でよく話が合ったからであろう。と伝えられている。
翁は、当地・この家を拠点として、近隣の山野に狩猟され、また遠く高山・根占・大根占の地へも足を運ばれたという。
山野における翁は、その体の大きさに似ず、誠に敏捷でこちらの丘にあるかと思えば向こうの丘にあるという風で、供人も後からついてゆけぬ程速かったという。
ここ霧島ヶ丘を狭しと「翔ぶが如く」走駆する大西郷の姿が目に浮かぶようである。
平成二年十一月 鹿屋市
入り口の銘
正面入り口から
内部の様子
なお西郷さんが滞在当初の建物と間取りなどは異なっています。
西郷さんが使用したとされる手水鉢
西郷さん宿泊の際に使用したとされる和ダンス
解説パネル
この解説パネルにはこうあります。
南洲庵と鹿屋における西郷隆盛
明治の元勲、西郷隆盛は幾度も鹿屋の地を訪れた。その宿泊所は、高須町・高須川沿いの田中吉右衛門(きちえもん)の宅であった。
この南洲庵は、その吉右衛門の孫にあたる田中陽蔵氏のご好意により隆盛翁が宿泊されたその家財の一部を使い、よく狩猟をされたというここ霧島ヶ丘公園の地に、茶屋として建築したものである。
隆盛翁がこの家に宿られたのは、当時、この家が一番大きくて、立派であったこと。鹿児島から舟で来ると便利であったこと。
当主の吉右衛門なる者が大骨肥満、風貌、性格が南洲翁に似た人でよく話が合ったからであろう。と伝えられている。
翁は、当地・この家を拠点として、近隣の山野に狩猟され、また遠く高山・根占・大根占の地へも足を運ばれたという。
山野における翁は、その体の大きさに似ず、誠に敏捷でこちらの丘にあるかと思えば向こうの丘にあるという風で、供人も後からついてゆけぬ程速かったという。
ここ霧島ヶ丘を狭しと「翔ぶが如く」走駆する大西郷の姿が目に浮かぶようである。
平成二年十一月 鹿屋市