大隅史談会 | ぐるっとおおすみ

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大隅史談会

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2020.07.21

権現島の伝説(鹿屋市吾平町下名)

吾平町下名の井神島の南にある田んぼの中に小山があります。



頂上には天文3年(1534年)に造られたと言われる徳丸権現(徳丸神社)があるので、この小山を権現島と呼んでいます。



この付近は肝付氏と島津氏の激戦地と伝えられています。肝付勢は、この辺りのぬかるみに大木を浮かべ、島津勢を迎えました。島津勢はぬかるみと大木に悩まされて、けが人と死者がたくさん出たそうです。勿論、肝付勢にもたくさんの犠牲者が出たそうです。
 
前回の案内のように、島津家11代・島津忠昌は、永正3年(1506年)に肝付家14代・肝付兼久の居城である高山城を攻めているので、伝説の権現島付近での戦いは、その一連の戦いであったと考えられます。
 
戦いの後で、死者とその鎧、兜、刀など多くの物を権現島に埋めたそうです。ところがその後、夏の夜には権現島から巨大な鬼火(青白い火)が、高山城へ向かって飛んで行くそうです。

 

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