大隅史談会 | ぐるっとおおすみ

大隅半島の歴史と文化、豊富な史跡と文化財を掘り起こし、今日と未来に伝えていこうとする民間団体です

大隅史談会

newsニュース

2021.05.07

歴史の厚みを感じる「高山のまち歩き」

4月27日にノルディックウォーキングと史跡巡りの愛好者たちによる「高山のまち歩き」がありました。大隅史談会の小手川 清隆理事に、高山の見どころを案内していただきました。

最初に、江戸時代に高山地頭・島津久通が高山川上流から用水路を整備して、2000石の広大な新田開発をもたらした功績を讃えた碑である「高山新溝記」を見学してから、近くにある屋治橋を渡って9代・肝付秋兼が創建したと伝わる「南方神社」に行きました。




盛光寺跡にある「肝付氏歴代の墓」で、544年間の肝付氏盛衰の歴史をうかがいながら、8代兼重から17代良兼までの墓を見学しました。次いで「竹田神社(旧日新院)」に移動し、16代・肝付兼続の妻の南御前が父の日新斎(島津忠良)・母・弟を慕って日新院を建立したが、廃仏毀釈後に神社となった経緯を知りました。西南戦争での戦死者の忠魂碑もありました。



大隅線の駅として大正9年に開業し、昭和62年に廃駅となった「高山駅の跡」で展示物を見たり休憩してから、「高山橋」に行き、流鏑馬の巨大モニュメントと高山川水害史碑を見学しました。



旧道に入り、江戸時代に商人町であった「野町」に行き、税金対策として間口の狭い細長い敷地が現在も残る町並みや、道路の通行人を守る塞神碑を巡りました。



流鏑馬で有名な四十九所神社にお参りして、南北朝時代に肝付兼重に与して南朝方として戦い武功をあげ、神社の裏山に弓張城を築いた楡井頼仲の表忠碑も見学しました。



最後に今回のハイライトである、大隅半島で最高の石高(300石)であった郷士・日高家の再建された武家門を見学しました。奥様が日高家出身の古瀬徹・鹿児島国際大学教授が鹿児島市からいらして、武家門再建の経緯やご苦労を話してくださり、再建の報告書をいただきました。エピソードとして、明治7年に西郷隆盛が日高家に宿泊されたこともうかがいました。



史跡以外に、高山で人気の食の2店も巡りました。ボリュームとやすさの老舗「米沢食堂」とスティックチーズケーキの「シエスタ」です。「シエスタ」では柔らかくクセのないとろけるスティックチーズケーキを試食させていただきました。



今回の参加者には、初めて知る高山の歴史の数々の他に、美味しいスティックチーズケーキの振る舞いまであり、多くの学びと思い出が詰まった「まち歩き」となりました。
 
 

COMMENTコメント

※本コメント機能はFacebook Ireland Limitedによって提供されており、この機能によって生じた損害に対してぐるっとおおすみは一切の責任を負いません