吾平山上陵 | ぐるっとおおすみ

鹿児島県下の神代三山陵の一つ

吾平山上陵

吾平山上陵の概要説明

鹿児島県内には三山陵(神代三山陵、皇祖三神の陵の総称)があります。

1.薩摩川内市の可愛(エノ)山陵
天照大神の孫に当られますニニギノミコトの御陵

2.霧島市溝辺町の高屋山上陵
ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメ(山神の娘)との間にお生まれになった第三子のホオリノミコト(ヒコホホデミノミコト)の御陵

3.吾平山上陵(あいらのやまのうえのみささぎ、略して吾平山陵;あいらさんりょう)
ホオリノミコトとトヨタマヒメ(海神の娘)との間にお生まれになったウガヤフキアエズノミコトとそのお后のタマヨリヒメのお二人の御陵

ウガヤフキアエズノミコトとタマヨリヒメとの間にお生まれになった第四子のカムヤマトイワレヒコノミコトが、奈良の橿原(カシハラ)で第一代の天皇に即位されました神武天皇です。
したがって、吾平山上陵は、皇族の方々とゆかりの深い場所であるとご理解いただければ良いと思います。
 

御陵は、駐車場から500mくらいの奥にあって、姶良川の対岸の岩屋の中です。

先に述べたように鹿児島には三つの御陵が治定されていますが、このことは明治の初期に天皇制の高揚の気運が高まってきて、明治7年7月10日に天皇のご裁可をもって決められたということです。
当時の明治政府の要人の中に、鹿児島から左大臣島津久光、内務卿に大久保利通他三人の方が在職されていたそうです。
特に治定については大久保利通が深く関与されたのではないかと言われています。
吾平山上陵 岩屋前での古い記念写真(年代未詳)
岩屋前での古い記念写真(年代未詳)


昭和天皇行幸記念碑は、昭和10年11月に鹿児島と宮崎で陸軍の大演習があった際に、昭和天皇が吾平山上陵に参拝(行幸)されたのを記念して、翌年の11月に公爵の島津忠重氏が建立されました。

ところが、昭和13年の台風による三日間降り続いた集中豪雨により、山陵から約6km上流側にある山中で土石流が発生して、その下流域は大災害に見舞われました。
吾平山上陵も一部が土石に埋没し、下流域の住民の死傷者が160余名に達しました。
当時は全国の方から義援金や救援物資などをいただきました。
昭和13年の水害で流された、吾平山上陵の御神木
水害で流された吾平山上陵の御神木


この昭和天皇行幸記念碑は岩屋の前に建っていましたが、上記の土石流で流失して行方不明になりました。
平成2年の姶良川の鹿児島県河川整備作業の際に、吾平山上陵から4km離れた所で発見され、現在の位置に移築されました。
この碑文の後ろの文言は、今上天皇の家庭教師、学習院大学教授などをされた池田俊彦氏(大姶良出身)です。
吾平山上陵 昭和天皇行幸記念碑
昭和天皇行幸記念碑と放水路の橋
 

吾平山陵の開門は午前8時で閉門は午後5時となっていまして、一年中参拝できるようになっています。
なお、元旦だけは、午前0時に開門です。

こちらの門から奥が、宮内庁の管轄になります。
ここで一礼して入っていきます。最初の橋は、吾平山上陵を災害から防護するために、新たに掘削された放水路横断の橋です。
昭和37年5月9日には当時の皇太子(今上天皇)と皇太子妃(美智子皇后)が参拝されていますが、当時の橋は杉で造られた太鼓橋でした。昭和42年に御陵内の橋は3橋ともコンクリート橋に架け替えられました。
吾平山上陵。当時の橋は杉で造られた太鼓橋、今はコンクリート橋に架け替えられました。

一般に参拝者は身を清めるため、御手洗場で手を洗ってから参拝されます。

山陵の御手洗場の姶良川では、伊勢神宮の五十鈴川を思い起こされる方もおられるようです。
また、参道を歩かれると、伊勢神宮と同じ雰囲気があると気付かれる方もあるかと思います。そのため、吾平山上陵は“小伊勢”とも呼ばれています。
吾平山上陵の御手洗場
御手洗場


参道の横に小さな建物があります。ここには宮内庁の事務所で、御陵の管理を担当されている宮内庁職員(嘱託)の方が一名おられます。
ここは京都市伏見にある桃山陵墓監区事務所の管区になっています。
山陵の御陵印も桃山陵墓監区事務所にあります。
吾平山上陵にある宮内庁事務所
宮内庁の事務所
吾平山上陵の御陵印
吾平山上陵の御陵印


この事務所の左側に杉科の大木が1本あります。
中国の杉で、広い葉の杉と書いて広葉(コウヨウ)杉(ザン)と言います。樹齢は400年と推定されています。
昭和13年の水害前は、参道の両側に大人5、6人が手をつないでも届かない大杉が林立していて、荘厳さがありました。
小伊瀬と呼ばれる吾平山上陵の参道と広葉杉
杉に囲まれた参道と広葉杉


参道の突き当りの辺りが、一般の方々の拝礼場所です。
橋を渡って岩屋の前から参拝するには、宮内庁の許可を得なければなりません。
拝礼の仕方は二礼二拍一礼で、一般の神社と同じです。
吾平山上陵の参道の最後
参道の最後

吾平山上陵の拝礼場所
拝礼場所
 

岩屋の説明をします。
岩屋は東北に向かい、入口の高さは3m少し、奥行きが14.5m、横幅が23.6mあり、広さは297m2(約90坪、180畳ほど)です。
その中に、高さ1.3m、周囲5m、その横に高さ0.9m、周囲3mの円形の塚が二つあります。

大きい方がウガヤフキアエズノミコト、小さい方がタマヨリヒメの御陵と言われています。
岩屋の中の御陵は、全国でも類を見ない貴重なものだそうです。

吾平山上陵は、別名「鵜戸山(ウドサン)」とも言われております。それは内部が空洞になっている場所を意味しています。
祭神がウガヤフキアエズノミコト(鵜葺草葺不合命)であることにちなんで、「鵜戸」があてられています。
宮崎の鵜戸神宮もそうです。
吾平山上陵の岩屋
吾平山上陵の岩屋


拝礼場所では滝の音が聞こえると思いますが、この滝を吾平では「稚児の滝」と呼んでいます。
昔この近くにあったお寺の稚児さんが、理由(ワケ)あってこの滝壺に身を投じたということから、「稚児の滝」と言うようになったと伝説として残っています。
その供養塔も上にありましたが、今はありません。
 

この吾平山上陵は、四季を通じて人々の心を和ませてくれますが、特に春の桜と秋の紅葉は格別なものがあります。
また野鳥の宝庫でもあります。
吾平山上陵入り口付近、姶良川沿いの桜
姶良川沿いの桜


特に観光案内人さんがおすすめは、春から7月の中頃まで鳴く「河鹿蛙(カジカガエル)」です。
河鹿蛙は清流にしか生息しておらず、日本一の美声の持ち主です。
その美声をYouTubeでも聴くことができます。
 
吾平山上陵の生物写真例(原村和好氏撮影)
カワセミ:吾平山上陵の生物写真例(原村和好氏撮影)
カワセミ
ヤマセミ::吾平山上陵の生物写真例(原村和好氏撮影)
ヤマセミ
オシドリ:吾平山上陵の生物写真例(原村和好氏撮影)
オシドリ
セキレイ:吾平山上陵の生物写真例(原村和好氏撮影)
セキレイ
スッポン::吾平山上陵の生物写真例(原村和好氏撮影)
スッポン
カジカガエル:吾平山上陵の生物写真例(原村和好氏撮影)
カジカガエル
 

≪吾平山上陵の案内サービス≫
吾平山上陵には観光案内人が一人います。
駐車場から見て左手の姶良川の横に「吾平町物産展示館(〒893-1101 鹿屋市吾平町上名5250番地1)があり、その中で勤務しています。
吾平山上陵入り口付近にある、吾平町物産展示館
吾平町物産展示館と展示物例

                                   
開館は火曜日から日曜日の午前9時半から12時半までで、月曜日は休館です。
電話(☎0994-58-5517)で申し込んでいただくと、吾平山上陵のいわれ、歴史、自然などをご説明しながら、吾平山上陵の一番奥の岩屋の拝礼場所までご案内します。
事前の申し込み次第では、勤務時間外の案内も可能です。
吾平町物産展示館には、皇族の行幸、野鳥、吾平の水害などの写真も展示されています。

ご来館と案内サービスのご利用をお待ちしています。


平成30年10月21日 美里吾平コミュニティ協議会

INFOインフォメーション

  • ■名称

    吾平山上陵
  • ■フリガナ

    アイラサンリョウ(あいらのやまのえのみささぎ)
  • ■住所

    〒893-1101 鹿児島県鹿屋市吾平町上名5250-1